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その廃材を使って知り合いの子供達にバッグを作っては送ってあげていたんです。そうですね、50個ぐらいつくったかな。そんなこんなしているうちに、いわゆるメッセンジャーバッグを作ってみたいって気持ちになったんです。でも、これもみんな作ってあげたい人へのプレゼントっていうのが基本的スタンスだったんです。
本当の意味でのメッセンジャーバッグに出会ったのはRELOADかな。あの完全にカスタムできるっていうのが気に入って、知ってすぐにオーダーして作ってもらいました。あれがメッセンジャーバッグとの最初の出会いだったと思う。
はっきり言ってショックでしたね。素材、作り、コンセプトとかそれまでの物とは全然違うし、今までのはショルダーバッグだったんだと正直思いました。
バッグを作るにあったって影響をうけたのは、間違いなくZO BAGですね。これもたまたまなんですが、BFFの展覧会、現在の「JOY RIDE」の原型になった展覧会、をサンフランシスコでやるって事で、アーティストとして参加したんです。その展覧会でZOにで会ったんです。当時はまだZOが伝説の人だなんて全然知らなかったから、面白い作品を作る人だなーってぐらいにしか思ってなかったんだけど、色々話しをしていくうちに、なんかカバンを作るらしいって事を聞いて、ふてぶてしくも、自分にも一個売ってくれないかって頼んだんです、そしたら、今は売るバッグは一個もないって言われたんです。でも、次の日に突然、バッグを二個作ってきてくれて、好きな方を選べって言われて、めちゃくちゃ嬉しかったですね。バッグが手に入ったからってのももちろんあるんですけど、忙しい彼が、わざわざ夜中に自分の為に作ってくれたっていう気持ちが一番うれしかったですね。
それ以来,ずっとそのバッグを使ってきたんです。そのバッグを担いで走っているとなんだかZOと一緒に走っている様な気がして、、、密教の中に同行二人っていう考え方があるんですけど、空海がいつも一緒だっていう考えかたで、四国遍路なんかもそうなんですよ。ちょっと大げさかもしれないけど、バッグを作る人と自転車に乗る人の関係もそうでありたいなと感じさせてくれたのがZOのバッグなんですよ。もちろん、いまでもこれがlazy monkの一番大切にしているコンセプトなんです。
刺し子は、自分の知っている限り、家の女性達はみんなやっていたんです。それを見ながらいつも刺し子ってすげーなって思っていたんです。そんな環境だったんで、バッグを作る事になった時に刺し子を入れようって自然に思ったんです。刺し子ってスゴく貧しかった農民や漁師の奥さん達が、自然の中で危険にさらされながら働く人の為に、生地に刺繍していったわけじゃないですか。それはもちろん生地の強度、保温効果みたいなファンクショナルな面もあるけれど、それと同時に精神的な面のサポートっていうか祈りみたいな物もあったと思うんですよ。第二次大戦中に息子の無事を祈って千人針みたいなのと同じような。こんな事を考えると刺し子とメッセンジャーバッグ、そしてlazy monkのコンセプトと一致するところが多かったんです。メッセンジャーの美しさって、農家や漁師さんとかの持っている環境と経験によって磨かれて来た,現代人の失いつつある動物的美しさだと思うんです。これにメタフィジカルなところで融合できる物ってそんなにないと思うんですよ。
アメリカも文化的環境は違っていても、日本と同じ様な事が言えると思う。100年以上ある自転車の歴史を受け継いで来たヨーロッパの自転車文化みたいな物はアメリカにはないと思います。しかし、最近になってメッセンジャーの持つ独自の世界観が一つのアメリカのサブカルチャーとして世界に発信されている事も確かです。歴史的観点から見ると、アメリカの文化が世界に影響を持つ様になってたったの60年です。その時間的コンテクストの中でみればメッセンジャーの世界や、スケボーの世界を文化の一要素と見る事も可能かと思うんですが、これを4000年以上脈々と続いて来た日本(沖縄とアイヌは除きます)に移植して、文化と呼んでしまうには無理がある様な気がするんです。
ちょっと偉そうな事を言ってしまったんですけど、文化とか、そうじゃないとか考える事も大切かもしれないけど、それよりも、もっと安全に自転車に乗れる環境と町づくりをしていく方が重要なんじゃないかと思うんです。それは、ピスト、ロード、ママチャリ、マウンテンバイク、BMX,三輪車、自転車を愛するすべての人が一緒に取り組んでいくものだと思うんです。そして、その理由が環境問題であれ、健康であれ、交通手段であれ、新しいトリックを習得する事であれ、なんでも良いと思うんです。もし、近い将来、そんな環境が日本にできていたら、それが日本の自転車文化になるんじゃないかな。
5大湖の一つであるスペリオル湖沿いを自転車で走るのは最高です。ミネアポリスやセントポールのダウンタウンにはメッセンジャーもいますけど、残念ながら私たちの住むダルースにはメッセンジャーはいないですね。人口9万人の小さな街ではメッセンジャーは必要ないようです。
今日はありがとうございました。HAPPY RIDING!
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05.lazy monk
(レイジーモンク)
http://www.messengerbag.jp/recommend/messengerbag/lazymonk
Interview by messengerbag.jp
Photo by Ryuta Nakajima and Michael Martin
取材日:2008年3月31日
アメリカ在住のコンテンポラリー・アーティスト二人の手がける「lazy monk」。
彼らが生み出す、日本の伝統工芸「刺し子」が施されたメッセンジャーバッグは、数あるバッグの中でもひときわ異彩を放っている。作家、教師、宗教家と様々な顔を持つlazy monk中島氏が、作品に込める想いを語ってくれた。
その廃材を使って知り合いの子供達にバッグを作っては送ってあげていたんです。そうですね、50個ぐらいつくったかな。そんなこんなしているうちに、いわゆるメッセンジャーバッグを作ってみたいって気持ちになったんです。でも、これもみんな作ってあげたい人へのプレゼントっていうのが基本的スタンスだったんです。
本当の意味でのメッセンジャーバッグに出会ったのはRELOADかな。あの完全にカスタムできるっていうのが気に入って、知ってすぐにオーダーして作ってもらいました。あれがメッセンジャーバッグとの最初の出会いだったと思う。
はっきり言ってショックでしたね。素材、作り、コンセプトとかそれまでの物とは全然違うし、今までのはショルダーバッグだったんだと正直思いました。
バッグを作るにあったって影響をうけたのは、間違いなくZO BAGですね。これもたまたまなんですが、BFFの展覧会、現在の「JOY RIDE」の原型になった展覧会、をサンフランシスコでやるって事で、アーティストとして参加したんです。その展覧会でZOにで会ったんです。当時はまだZOが伝説の人だなんて全然知らなかったから、面白い作品を作る人だなーってぐらいにしか思ってなかったんだけど、色々話しをしていくうちに、なんかカバンを作るらしいって事を聞いて、ふてぶてしくも、自分にも一個売ってくれないかって頼んだんです、そしたら、今は売るバッグは一個もないって言われたんです。でも、次の日に突然、バッグを二個作ってきてくれて、好きな方を選べって言われて、めちゃくちゃ嬉しかったですね。バッグが手に入ったからってのももちろんあるんですけど、忙しい彼が、わざわざ夜中に自分の為に作ってくれたっていう気持ちが一番うれしかったですね。
それ以来,ずっとそのバッグを使ってきたんです。そのバッグを担いで走っているとなんだかZOと一緒に走っている様な気がして、、、密教の中に同行二人っていう考え方があるんですけど、空海がいつも一緒だっていう考えかたで、四国遍路なんかもそうなんですよ。ちょっと大げさかもしれないけど、バッグを作る人と自転車に乗る人の関係もそうでありたいなと感じさせてくれたのがZOのバッグなんですよ。もちろん、いまでもこれがlazy monkの一番大切にしているコンセプトなんです。
刺し子は、自分の知っている限り、家の女性達はみんなやっていたんです。それを見ながらいつも刺し子ってすげーなって思っていたんです。そんな環境だったんで、バッグを作る事になった時に刺し子を入れようって自然に思ったんです。刺し子ってスゴく貧しかった農民や漁師の奥さん達が、自然の中で危険にさらされながら働く人の為に、生地に刺繍していったわけじゃないですか。それはもちろん生地の強度、保温効果みたいなファンクショナルな面もあるけれど、それと同時に精神的な面のサポートっていうか祈りみたいな物もあったと思うんですよ。第二次大戦中に息子の無事を祈って千人針みたいなのと同じような。こんな事を考えると刺し子とメッセンジャーバッグ、そしてlazy monkのコンセプトと一致するところが多かったんです。メッセンジャーの美しさって、農家や漁師さんとかの持っている環境と経験によって磨かれて来た,現代人の失いつつある動物的美しさだと思うんです。これにメタフィジカルなところで融合できる物ってそんなにないと思うんですよ。
アメリカも文化的環境は違っていても、日本と同じ様な事が言えると思う。100年以上ある自転車の歴史を受け継いで来たヨーロッパの自転車文化みたいな物はアメリカにはないと思います。しかし、最近になってメッセンジャーの持つ独自の世界観が一つのアメリカのサブカルチャーとして世界に発信されている事も確かです。歴史的観点から見ると、アメリカの文化が世界に影響を持つ様になってたったの60年です。その時間的コンテクストの中でみればメッセンジャーの世界や、スケボーの世界を文化の一要素と見る事も可能かと思うんですが、これを4000年以上脈々と続いて来た日本(沖縄とアイヌは除きます)に移植して、文化と呼んでしまうには無理がある様な気がするんです。
ちょっと偉そうな事を言ってしまったんですけど、文化とか、そうじゃないとか考える事も大切かもしれないけど、それよりも、もっと安全に自転車に乗れる環境と町づくりをしていく方が重要なんじゃないかと思うんです。それは、ピスト、ロード、ママチャリ、マウンテンバイク、BMX,三輪車、自転車を愛するすべての人が一緒に取り組んでいくものだと思うんです。そして、その理由が環境問題であれ、健康であれ、交通手段であれ、新しいトリックを習得する事であれ、なんでも良いと思うんです。もし、近い将来、そんな環境が日本にできていたら、それが日本の自転車文化になるんじゃないかな。
5大湖の一つであるスペリオル湖沿いを自転車で走るのは最高です。ミネアポリスやセントポールのダウンタウンにはメッセンジャーもいますけど、残念ながら私たちの住むダルースにはメッセンジャーはいないですね。人口9万人の小さな街ではメッセンジャーは必要ないようです。
今日はありがとうございました。HAPPY RIDING!
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